イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。  (ルカ23:46)

父なる神に対する信頼に満ちたこの祈りは、キリストがこの地上の生涯の最期まで、すべてを神にゆだねて歩まれたということを表しています。ルカによる福音書の記述を読むと、十字架上のキリストにはあまり苦しみがなかったかのような印象を受けます。しかし、ルカはキリストが息を引き取る少し前に発せられた苦しみの叫びをあえて省略しており、そちらをも補って考えた方がキリストの最期の姿をより立体的に思い描くことができます。すなわち、マルコによる福音書15章34節によると、キリストは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」とも大声で叫ばれたのでありました。

この苦しみの叫びは、表面的に読むと最期の「わたしの霊を御手にゆだねます」という叫びと矛盾しているかのような印象を受けます。しかし、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」は、単なる絶望の叫びではありません。むしろ、自分の苦しみを包み隠さず言い表した、神に対する深い信頼の言葉なのであります(詩22編参照)。キリストは御自身の苦しみを受け止めてくださる方を知っておられたからこそ、その方に向かって率直に叫ばれたのでした。宗教改革者のカルヴァンは「かれはあたかも神から見捨てられたように感じたもうたが、神のいつくしみについての信頼からいささかも離れたまわなかった」(『キリスト教綱要』第2篇16章12)と解説しています。「お見捨てになった」と思われるくらい苦しい状況の中でも、「わが神、わが神」と呼びかけることができたのは、父なる神とご自身の間にある絆を確信しておられたからであります。キリストは、神から見捨てられたと思われるくらいの苦しみを私たちに代わって経験してくださり、その苦しみの中でも父なる神への信頼を貫かれたのでありました。

(3月29日の説教より)