するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

                   (ルカ23:43)

キリストを信じる犯罪人は、将来キリストが神の国の権威の座についてならば私を思い出して神の国に受け入れてください、とお願いしました。ところが、キリストは「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われました。将来、肉体的・精神的苦痛から解き放たれたときに、あなたを神の国に受け入れようというのではないのです。「今日」恥と苦しみにまみれたその状態において、あなたはわたしと共に神の国の一員である、とキリストは宣言なさったのでありました。これは、犯罪人の願いをはるかに超えた大きな恵みでありました。犯罪人が十字架上でみじめな死を迎えようとしているまさにそのときに、今もそしてこれからも、あなたは神の国に受け入れられ、罪赦され、永遠の命を与えられているという約束をいただいたのです。

「楽園」という言葉は、もともと旧約聖書の創世記のエデンの園をさす言葉です。しかし、それは旧約聖書の預言の中で来たるべき神の国とその祝福を表す象徴的表現として用いられるようになりました(イザヤ51:3参照)。ですから、ここで犯罪人が「楽園にいる」というのは、今ここで罪の赦しと永遠の命を受け、しかもそれがこの後も続くということです。宗教改革者のカルヴァンは、人間の死後の状態について「敬虔なものたちのたましいは、戦いの労苦を終えて浄福の憩いに入り、そこに約束された栄光の実りを、幸いな喜びをもって待ち望む」(『キリスト教綱要』3篇25章6)と記しています。すなわち、この犯罪人は、人間として最も恥ずかしく苦しい経験のただ中で、その苦しみと恥を共にしてくださるキリストに出会い、そのキリストから最も喜ばしく光栄な祝福を受けたのでありました。    (3月22日の説教より)