「それにしても、あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。薄荷や芸香やあらゆる野菜の十分の一は献げるが、正義の実行と神への愛はおろそかにしているからだ。」

           (ルカ11:42)

 

このように厳しく偽善を暴くキリストの御言葉を、私たちはどのように聞けばよいのでしょうか。たとえば、この御言葉は○○さんにぴったりだというように、他人のこととして聞く受け止め方があります。そして、そのような受け止め方もまったく間違いであるとは言えないかもしれません。しかし、偽善者は自分の悪には気づいていないということに気をつけてください。この聖書の箇所に出てきた偽善者は○○さんのことだ、などと言って人をやっつけた気分になっていては、いつの間にか自分自身がもっとひどい偽善者になってしまう恐れがあるのです。ですから、この御言葉は他人のことではなく、自分のことが言われていると受け止めていただきたいと思います。

確かに、このような厳しい御言葉を自分に向けられたものとして受け入れるには、相当の覚悟が必要です。しかし、この御言葉をお語りになった方は、私たちのために十字架にかかって死んでくださったイエス・キリスト御自身です。私たちの罪のために死んでくださった方が、私たちに自分の罪に気づかせてまことの悔い改めに導こうとして、このように語っておられるのです。すなわち、私たちをまことの救いと悔い改めへと導くために、キリストは外科手術をする医師のように御言葉のメスで私たちの罪を切除しようとしておられるのであります。ですから、私たちはこの御言葉を聞いて、「主よ、私たちのためにここまでおっしゃってくださり、ありがとうございます。そして、あなたは言葉だけではなく、本当に私たちの罪のために十字架についてくださいました」と答えるものでありたいと思います。 (12月1日の説教より)