反対に、皆が預言しているところへ、信者でない人か、教会に来て間もない人が入って来たら、彼は皆から非を悟らされ、皆から罪を指摘され、心の内に隠していたことが明るみに出され、結局、ひれ伏して神を礼拝し、『まことに、神はあなたがたの内におられます』と皆の前で言い表すことになるでしょう。
(一コリント14:24-25)
人は神様の御心の解き明かしを聞いたときに、どのような仕方で恵みを受けるのでしょうか。「神様はあなたを愛しておられます。だから、ありのままのあなたでいいのですよ」というようにして恵みを受けるのでしょうか。そうではありません。人は神様の御心の解き明かしを聞いて、「非を悟らされ」「罪を指摘され」「心の内に隠していたことが明るみに出され」ることによって、神様の恵みを受けるのです。自分がいかに罪深いかを知らされ、その罪深い自分をも赦してくださる聖なる神様に出会って、ひれ伏して神を礼拝し、「まことに、神はあなたがたの内におられます」と言い表して恵みを受けるのです。ありのままの自分が罪深く悲惨な状態にあることを自覚し、そのような悲惨な状態から神がキリストによって救ってくださるということを知って、キリストを信じて恵みを受けるのです。そして、ありのままの自分を神にささげて変えていただき、神に感謝する生活をすることによって、罪の赦しの恵みが確かなものになっていくのです。
人間の悲惨を自覚し、キリストによる救いを信じ、救われた者として感謝の生活をするという筋道によって、人が罪と死の奴隷であった古い生き方から救われた新しい生き方へと変えられていくことが神様の御心です。その神の御心を解き明かす「預言」が礼拝の中で語られることによって、「信者でない人」や「教会に来て間もない人」が悔い改めに導かれるようにとパウロは願っていたのでした。
(9月29日の説教より)