わたしの兄弟たち、こういうわけですから、預言することを熱心に求めなさい。そして、異言を語ることを禁じてはなりません。しかし、すべてを適切に、秩序正しく行いなさい。             (一コリント14:39-40)

 パウロが12章から14章まで記してきたことのまとめは、この39節と40節に記されています。つまり、教会の礼拝で神の御心をわかる言葉で解き明かす「預言」を語ることができるように、熱心に求めなさい、ということです。そして、平和の神を礼拝するにふさわしく、「すべてを適切に、秩序正しく行いなさい」ということです。一般の原則として語るならば、これに反対する人はいないでしょう。しかし、普通の人には理解できない「異言」を語ることこそ、霊的に優れたクリスチャンであると思い込んでいたコリント教会の信徒たちにとっては、挑戦的な言葉であったに違いありません。
 今日におきましても、教会の中には大なり小なり「教会とはこういうものだ」とか「クリスチャンとはこういうものだ」というような思い込みがあるものです。本日の説教の最初に挙げた例は、その極端なものでしょう。そして、十人の人がいれば十とおりの思い込みがあり、百人の人がいれば百とおりの思い込みがあることでしょう。そのような思い込みが打ち砕かれて、教会の礼拝や活動が平和に行われていくためには、聖書にもとづいた秩序が必要です。教会の中にさまざまな規則があるのは、そのためです。私たちの教会には日本キリスト教会の憲法と規則がありますし、志木北伝道所独自のさまざまな規則もあります。これらの教会の規則は、それらを守らなければ絶対に救われないというような絶対的なものではありません。しかし、思い込みをもちやすい人間の弱さによって信仰の共同体が無秩序になることのないように、聖書に基づいて定められているものです。ですから、それらを大切にしてまいりましょう。そして、私たち一人一人が心から神様の前にへりくだり、感謝と悔い改めをもって神様を礼拝して生活をしていくために、教会においてはできる限り「すべてを適切に、秩序正しく」行ってまいりたいと思います。             (10月13日の説教より)