聖  書  ルカによる福音書18:15-17

イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。弟子たちは、これを見て叱った。
しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。
はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。

以前、幼稚園の子どもたちに「イエス様は私たちの罪のために十字架にかかって死なれました。けれども、復活して天国に昇られました。そして、天国におられるけれども、私たちといっしょにいて私たちのことを見守っていてくださるのですよ。わかりますか?」というお話をしたことがありました。すると、ある一人の子どもが立ち上がって、「イエス様は神様だから天国に昇っても僕たちのことを見守っていっしょにいることができるのさ」という意味のことを答えてくれました。私は、この子どもがイエス・キリストの神性と人性にかんする非常に重要で難解な神学の理論を自分の言葉で見事に言い表したことに驚き、喜びと同時に畏れすら覚えました。
 本日の聖書の箇所でキリストは、幼子のようにただ素直に神の御支配を受け入れる人こそ天国に入る、ということを教えておられます。この場合、天国に入るということは将来のことでありますが、ある日突然にそこに入るというのではありません。キリストを信じる者はすでにこの地上において「天国の市民」すなわち「神の子」として歩み始めているのであります。そして、この世の不安定な立場をよりどころとするのではなく、「神の子」「天国の市民」という揺るがない足場に立って、将来の天国をめざしつつ、この地上の歩みを一歩一歩進んで行くことこそ、最も堅実で希望に満ちた生き方であります。しかし、そのような確かなよりどころや目標をもたないために、この世で迷い生きる力を失う人々も少なくありません。「子供のように神の国を受け入れる」とは、我を忘れて一心に神の国を受け入れることです。幼子のように一心に、キリストの見守りと天国への招きを信じて歩みましょう。   (5月6日の説教より)