聖書  コリントの信徒への手紙一3:18-20

だれも自分を欺いてはなりません。もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。
この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。「神は、知恵のある者たちを/その悪賢さによって捕らえられる」と書いてあり、
また、/「主は知っておられる、/知恵のある者たちの論議がむなしいことを」とも書いてあります。

人間的な自分の知恵を誇る者は、「神の神殿を壊す者」であり、神様の裁きによって滅ぼされるべき者です(17節)。そうであるにもかかわらず、自分が優れたクリスチャンであるかのように思い上がっているのは、自分を欺いていることにほかなりません。そこでパウロは「だれも自分を欺いてはなりません」と言うのです。
「この世で」という言葉をある学者は「この世の基準によって」と訳し、また別の学者は「この世の秩序において」と訳しています。コリント教会の信徒たちは、この世の基準や秩序をキリスト教会の中に持ち込んで、「自分は知恵のある者だ」と考えていました。しかし、神様の救いの業においては、この世の基準や秩序は逆転します。すなわち、この世の基準や秩序においては最も愚かな者である十字架につけられたキリストこそが、神様の救いの業においては力となり知恵となるのです。
この手紙の1章22-25節でパウロは次のように記しています。「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。」この世の基準では愚かな者であるキリストが、神様の基準では力と知恵のある者となります。ですから、パウロはコリント教会の信徒たちに「本当に知恵のある者とあるために愚かな者になりなさい」と勧めているのです。この世の基準で知恵のある者になるのではなく、神様の基準で知恵のある者になりなさいということです。すなわち、ただキリストを信じて永遠の命を受け継ぐ者になりなさいということです。自分の知恵を誇って神様に滅ぼされる者になるのではなく、ただキリストを信じてキリストに従い、罪の赦しと永遠の命を受ける者になりなさいということです。   (12月10日の説教より)