聖書のことば  コリントの信徒への手紙一3:16-17

あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。
神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。

 教会とは「神の霊が自分たちの内に住んでいる」共同体であります。そして、そのことを知った人は、当然、教会に対する畏敬の念を持つでありましょう。なぜなら、教会とは単に人間が集まって自分たちがよいと思うことをしているような集まりではなく、神の霊の働きによって、神が望まれることを行わせている集まり、すなわち礼拝を行わせている集まりだと知るからであります。ところが、コリント教会の信徒たち、指導者たちの有様は、教会に対する畏敬の念とは程遠いものでした。「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」と言って分裂し、自分こそ知恵のある優れたクリスチャンであると誇って、互いに争い合っていたのです。彼らは、教会を人間的な集まりのように見ており、神の霊の住む神殿ということを理解していませんでした。
 そこで、パウロは17節において非常に厳しい警告を発しています。「神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。」「神の神殿を壊す者」とは、コリント教会の信徒たち、指導者たちのことを指しているのでしょう。彼らが人間的な思いで自分を誇り、互いに争い合っていたのは、神様の目から見れば「神の神殿を壊す」ような行いでありました。そのような行いをする人は、ふさわしい報いを受けます。すなわち、「神はその人を滅ぼされるでしょう」とパウロは記します。この短い言葉には、コリント教会の信徒たちや指導者たちの誤った姿勢を正そうとするパウロの愛と厳しさが込められています。神の神殿である教会を争いの場とすることの報いは、滅び以外の何ものでもないのです。そして、それに続く「神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです」という言葉にも、コリント教会の信徒たちや指導者たちに、神を礼拝する民としてこの世から選び出され、神の霊の住まいとされていることを覚えてそれにふさわしく歩みなさい、というパウロの強い勧告の意図が込められています。
              (12月3日の説教より)