エフェソの信徒への手紙2:14-22

実に、キリストはわたしたちの平和であります。

(エフェソ2:14)

なぜキリストは私たちの平和であるかと申しますと、第一に、キリストは神様と私たちを和解させてくださるからであります。そして第二に、神様と和解させることによって、敵意を抱いている二つのものを和解させるからであります。14節の後半に、「二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し」とあるとおりです。

ここで、互いに敵意を抱いている二つのものとして、この手紙の著者が考えているのは、ユダヤ人と異邦人、すなわちユダヤ人とユダヤ人以外の民族のことであります。今日でもイスラエルとパレスチナの対立は、多くの人々の血が流されている深刻な問題です。そしてその根っこはとても深いところにあります。それは、イスラエルすなわちユダヤ人が自分たちを神に選ばれた特別な民族であると信じていることにあります。それに対して、他の民族は、ユダヤ人は独善的で偏狭な民族であると決めつけて、迫害を加えてきました。この対立の構図は、新約聖書の時代から現代まで2000年以上にわたり続いてきました。いや、旧約聖書の時代にさかのぼれば、それよりももっと古いと言わねばなりません。

しかし、その対立するユダヤ人と異邦人の間にも和解の道があるということを聖書は教えています。それは、ユダヤ人が自ら十字架につけて殺したイエス・キリストを、旧約聖書で預言された救い主と信じることであります。また、異邦人も旧約聖書の預言に従って十字架につけられて死んだイエス・キリストが、全世界の救い主であると信じることであります。十字架につけられたイエス・キリストを信じるキリスト教信仰によって、ユダヤ人と異邦人は和解できると言うのであります。これは言い換えますと、旧約聖書の教えを守ることによって自分たちは神に近い者だと考えていたユダヤ人が、イエス・キリストという道を通して神の道に入門し直すことであります。また、神の教えから遠く離れて生きていた異邦人が、イエス・キリストという門を通って神の道に新しく入門するということであります。

そこで、本日の聖書の箇所の意味をさらに深く受け止めますと、単にユダヤ人と異邦人だけではなく、神に近くある者と神から遠く離れている者が、共にキリストの恵みを受けることによって和解することができると言えるのであります。

(12月25日の説教より)