コリントの信徒への手紙二10:3-6

わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。 

(二コリント10:4)

 

「肉のものではなく」というのは、この世の人間的なものではないということです。この世の人間的なものではないのですから、もちろん、軍事力や暴力ではありません。それだけではなく、雄弁に言葉を使って相手を言い負かすような力でもないということです。人間的な知恵による力ではないのです。それでは、どんな力なのでしょうか?パウロは「神に由来する力」であると言います。つまり、パウロは自分を批判する者たちに対して戦いを宣言して、自分の力によって戦うのではなく「神に由来する力」で戦うと宣言しているのです。

それでは、「要塞も破壊する」というのはどういう意味でしょうか?これはたとえですから、もちろん実際の軍事的な「要塞」のことではありません。コリント教会の信徒たちには、自分たちが霊的に完成した優れたクリスチャンであるいう思い込みがありました。そのような強い思い込みのことを、パウロは「要塞」と呼んでいるのでしょう。これまでにもお話しましたように、パウロは、コリント教会の中の「みだらな者」を悔い改めさせるため、コリント教会を訪問して心を砕いて指導したことがありました。しかし、「みだらな者」が悔い改めないで反抗しただけでなく、多くの信徒たちが「みだらな者」に同情して、パウロの指導に従おうとしませんでした。パウロの指導に従おうとしなかったのは、自分たちが優れたクリスチャンであるいう思い込みがあったからでしょう。ところが、その後でパウロが涙ながらに書いた「厳しい手紙」は、多くの信徒たちの心を動かして悔い改めへと導きました。すなわち、パウロの「厳しい手紙」のメッセージを受け止めたコリント教会の多くの信徒たちは、「みだらな者」に罰を与えて、悔い改めるように求めたのでした。すなわち、パウロの「厳しい手紙」は、コリント教会の信徒たちの思い込みという「要塞」を打ち砕いたということができます。そのようなこれまでの経験に基づいて、パウロは「わたしたちの戦いの武器は…要塞も破壊するに足ります」と述べているのでしょう。           (6月12日の説教より)