コリントの信徒への手紙二10:1-2

さて、あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている、このわたしパウロが、キリストの優しさと心の広さとをもって、あなたがたに願います。                 (二コリント10:1)

どうして、パウロはコリント教会の信徒たちから「面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る」などと思われていたのでしょうか。おそらく、これまでのパウロとコリント教会の信徒たちとの関係が反映していたのでしょう。パウロの伝道によってギリシアのコリントにキリスト教会が誕生しました。しかし、お金儲けや快楽を追求する人々の多いコリントという町に誕生したキリスト教会には、偶像礼拝やみだらな行いや党派争いなどのさまざまな問題がありました。とりわけ、クリスチャンでありながらみだらな行いを続けている信徒がいることが深刻な問題でした。そこで、コリント教会の中の「みだらな者」を悔い改めさせるため、パウロは旅をしてコリント教会を訪問して、心を砕いて指導しました。ところが、「みだらな者」が悔い改めないで反抗しただけでなく、多くの信徒たちが「みだらな者」に同情して、パウロの指導に従おうとしませんでした。つまり、実際に会って話をしたときに、コリント教会の信徒たちは、パウロの指導にあまり権威を感じなかったのです。そこで、「面と向かっては弱腰だ」と思われていたのでしょう。

訪問して指導することがよい結果を生まなかったために、パウロはそのころ滞在して伝道をしていたエフェソの町に戻り、エフェソからコリント教会の信徒たちに手紙を書きました。この手紙の2章4節に「わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。あなたがたを悲しませるためではなく、わたしがあなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした」とあるとおりです。この手紙は「涙の手紙」と呼ばれます。この「涙の手紙」は、多くの信徒たちの心を動かして悔い改めへと導きました。そして、コリント教会の多くの信徒たちは、「みだらな者」に罰を与えて、悔い改めるように求めたのでした。こうして、コリント教会の多くの信徒たちは手紙に表されたパウロの権威を認めたのです。しかし、一部の信徒たちは、パウロの手紙をよい思いでは受け止めませんでした。パウロは「離れていると強硬な態度に出る」と受け止めたのです。こうして、パウロの権威を認めない信徒たちは、パウロのことを「面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る」と言って批判していたのでしょう。

(5月29日の説教より)