コリントの信徒への手紙二9:12-15

この奉仕の業が実際に行われた結果として、彼らは、あなたがたがキリストの福音を従順に公言していること、また、自分たちや他のすべての人々に惜しまず施しを分けてくれることで、神をほめたたえます。         (二コリント9:13)

旧約聖書の伝統を受け継ぎ、自分たちは神様に選ばれた聖なる民族であると考えるユダヤ人は、自分たち以外の民族は汚れた民族であると考えてきました。ギリシアの中でも特に世俗的な町であるコリントに住むギリシア人などは、ユダヤ人から見れば汚れた民族の最たるものでした。ところが、ユダヤ人の中でイエス・キリストの福音を信じてクリスチャンとなった人々は、ギリシア人の中でイエス・キリストの福音を信じてクリスチャンとなった人々と、聖なる兄弟姉妹として交わることができるようになったのです。そして、コリント教会の信徒たちがエルサレム教会の貧しい信徒たちのために献げた献金は、「キリストの福音を従順に公言していること」の目に見えるしるしとなるのです。「公言していること」と翻訳されているホモロギアというギリシア語は「告白」という意味の言葉です。言い換えれば、コリント教会の信徒たちの献金は、コリント教会の信徒たちがキリストの福音に従って生きていることを告白する行いになるということです。

それだけではありません。コリント教会の信徒たちの献金は、コリント教会の信徒たちがキリストの教えに従って「自分たちや他のすべての人々に惜しまず施しを分けてくれること」の証しでもあるのです。パウロは、使徒言行録のエフェソ教会の長老たちへの説教の中で「受けるよりは与える方が幸いである」というキリストの言葉を教えています(使徒20:35)。また、ガラテヤの信徒への手紙の中では「すべての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう」(ガラテヤ6:10)と教えています。コリント教会の信徒たちの献金は、コリント教会の信徒たちが自分たちの利益を中心に考える生き方をしているのではなく、神様から与えられた祝福をほかの人々と分ち合う生き方をしていることの目に見える証しでした。一言で言えば、コリント教会の信徒たちがクリスチャンとして生きていることの証しでした。そして、エルサレム教会やユダヤ地方の諸教会とコリント教会の信徒たちとの間に、「聖徒の交わり」が成り立っているということの確かなしるしでもありました。コリント教会の信徒たちと「聖徒の交わり」が成り立っているゆえに、エルサレム教会の信徒たちは、神様に感謝し、神様をほめたたえずにはおれなくなるということです。             (5月22日の説教より)