ローマの信徒への手紙15:7-13

「キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり、 異邦人が神をその憐れみのゆえにたたえるようになるためです」                (ローマ15:8-9)

聖書では、神様が約束なさったことに忠実でいらっしゃることを「神の真実」と言います。ですから、8節の前半では「神の真実を表すために」と記されているのです。キリストはユダヤのベツレヘムでユダヤ人として生まれ、ユダヤ人の人々の間で神の国を宣べ伝えられました。そして、キリストの十字架と復活の出来事が起こったのも、ユダヤの都のエルサレムにおいてでした。しかし、それは、ユダヤ人だけのためのものではなく、世界中の他の民族すなわち異邦人もまたその出来事によってまことの神様を知り、神様を賛美するためでありました。

そのことが、9節後半以下の四つの旧約聖書からの引用の言葉によって示されています。四つの引用の言葉には、いずれも「異邦人」のことが記されています。そして、一見するとユダヤ人だけのために描かれたかのように見える旧約聖書が、実はすべての民族のためにも記されたものであったということを表しています。これらの引用の中でも、最後の「エッサイの根から芽が現れ、異邦人を治めるために立ち上がる。異邦人は彼に望みをかける」という言葉に注目してみたいと思います。これは、旧約聖書のイザヤ書11章1節と10節からの引用です。1節と10節を組み合わせてあることや、旧約聖書のギリシャ語訳からの引用であるため、私たちが持っている聖書でイザヤ書の10章1節と10節を見ても、本日の箇所の12節とはかなり言葉が違っています。「エッサイ」とは旧約聖書の偉大な王であったダビデの父親の名前です。ですから、「エッサイの根」とはダビデの王家を表しています。そして、「エッサイの根から芽が現れ」とは、ダビデの王家から救い主イエス・キリストが生まれるということです。「異邦人を治めるために立ち上がる」とは、ダビデの子孫であるキリストは、全世界の人々を治めるようになるということです。キリストはユダヤ人の救い主であるだけでなく世界の人々の救い主であるからです。そこで、12節の最後には「異邦人は彼に望みをかける」と言われています。2節では「あなたをそしる者のそしりが、わたしにふりかかった」という苦しみを受けたキリストの姿が示されていましたが、12節では王として全世界の人々を治めるキリストの姿が示されています。そして、全世界の人々の救いのために十字架の苦しみを経験してくださったキリストが、今、この世界を治めておられるということが、苦しみの中にある人々にとって確かな希望の根拠なのであります。       (12月19日の説教より)