コリントの信徒への手紙二6:7b-10

左右の手に義の武器を持ち、栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです。(二コリント6:7b-8b)

 「左右の手に義の武器を持ち」とはどういうことでしょうか?もちろん、これは文字どおりの武器ではなく伝道者として神様から与えられた霊的な武器のことでしょう。パウロはエフェソの信徒への手紙の6章16節では「信仰を盾として取りなさい」と書き、17節では「霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい」と書いています。これを読むと「義の武器」とはどのようなものであるかがわかります。つまり、パウロは確かな信仰によって悪魔の攻撃を防ぎながら、神の言葉である聖書に従ってキリストの福音を宣べ伝えていたのです。

「栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにも」という言葉は、相手の態度にかかわらず、パウロが一貫した姿勢でキリストの福音を宣べ伝えていたということを示しています。ガラテヤの諸教会はパウロに対して手の平を返すような態度をとりました。ところが、パウロの方は「栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも」忍耐強くキリストの福音を宣べ伝えて教え続けたのです。コリントの教会の信徒たちの多くは、パウロから洗礼を受けたのではないということもあったのでしょう、パウロに対して批判的な態度をとっていました。「みだらな者」の指導を巡ってパウロと信徒たちは一時対立した関係にありました。また、この手紙の10章10節を読むと、コリント教会の信徒たちの中にはパウロのことを「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」と批判する人々がいたことがわかります。パウロは文字どおり「悪評」を浴びていたのです。しかし、パウロはそのような「悪評」を浴びせるコリント教会の信徒たちに対しても、忍耐強くキリストの福音を教え続けました。5章の20節にあるように「キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい」と言って指導し続けたのです。   (11月7日の説教より)