ルカによる福音書7:24-28

「あなたがたは何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。華やかな衣を着て、ぜいたくに暮らす人なら宮殿にいる。」                 (ルカ7:24-25)

 

「しなやかな服を着た人か」というのは、どのような意味でしょうか?マルコによる福音書1章6節に「ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた」とありますように、洗礼者ヨハネはこの世とは距離を置いて自然の中で生活していました。旧約聖書の時代には、権力者に喜ばれるメッセージを語って利益を得てぜいたくな生活をしていたいわゆる偽預言者がたくさんいました。それとは対照的に、洗礼者ヨハネは、この世の汚れやぜいたくに染まらない生活をして、権力者が正しくないことをすればそれを率直に指摘しました。そのことを考えますと、洗礼者ヨハネは本当に偉大な人物であったことがわかります。そこで、26節のところで、キリストは力を込めて「では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ、言っておく。預言者以上の者である」とおっしゃったのであります。すなわち、洗礼者ヨハネは単なる一人の預言者というのではなく、神様の救いの歴史の中で独自の使命を担った預言者以上の人物であったということです。

さらに、27節のところで、キリストは旧約聖書のマラキ書3章1節を引用して「『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの前に道を準備させよう』/と書いてあるのは、この人のことだ」と語られました。ただし、この引用は、マラキ書3章1節そのままではありません。マラキ書3章1節には「見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える」と記されています。ところが、キリストの引用では元のマラキ書にはない「あなたより先に」という言葉が挿入され、「わが前に」が「あなたの前に」と言い換えられています。これは、マラキ書の預言を、メシヤが来る前にそれを告げる使者を送る、というように解釈し直しているということでしょう。したがって、洗礼者ヨハネの独自の使命とは、きたるべきメシアのために人々の心を準備させることであった、と言うことができます。

(9月5日の説教より)