コリントの信徒への手紙二2:3-4「愛に基づく手紙の力」

わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。あなたがたを悲しませるためではなく、わたしがあなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした。 (二コリント2:4)

「涙ながらに手紙を書きました」とありますから、この手紙は「涙の手紙」と呼ばれています。パウロがコリント教会の信徒たちに書いた第三番目の手紙です。第一番目は新約聖書に収録されていない「前の手紙」と呼ばれるもので、第二番目は新約聖書に収録されている「コリントの信徒への手紙一」です。第三番目がこの「涙の手紙」で、第四番目が「コリントの信徒への手紙二」です。「涙の手紙」は聖書の研究者によって「厳しい手紙」(Severe Letter)と呼ばれることもあります。その内容が、コリント教会の信徒たちに悔い改めを求める厳しい内容であったと考えられるからです。すなわち、信徒たちが悔い改めて「みだらな者」に厳しい処置をすることを求める内容であったのです。しかし、パウロはそのような厳しい手紙を、ただコリント教会の信徒たちを責めるために書いたのではありませんでした。「あなたがたを悲しませるためではなく、わたしがあなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした」とありますように、パウロの厳しい手紙には、コリント教会の信徒たちに対して「あふれるほど抱いている愛」があったのです。
その「あふれるほど抱いている愛」の源は、ほかならぬイエス・キリストの愛です。かつてはイエス・キリストに反抗してクリスチャンを迫害していたパウロは、キリストの愛によって悔い改めに導かれ、回心してクリスチャンとなりました。5章14節と15節でパウロは次のように記して、キリストの愛が人の生き方を百八十度変えるということを明らかにしています。「なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。」自分を悔い改めに導いたキリストの愛に基づいて、パウロはコリント教会の信徒たちにあふれるほどの愛を抱いており、信徒たちも悔い改めに導かれるようにと願っていたのでした。       (10月25日の説教より)