ルカによる福音書13:22-30

「狭い戸口から入るように努めなさい。」  (ルカ13:24)

町や村で神の教えを教えながらエルサレムに向かって進むキリストに対して、ある人が「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」(23節)と尋ねました。これに対して、キリストは多いとも少ないともお答えになりませんでした。後に続く答えを読んでみますと、ユダヤ人で救われるものは少ないという意味が容易に読み取れるのですが、あえて少ないとはおっしゃらずに、どのような人が救われ、どのような人が救われないかということを答えておられます。すなわち「狭い戸口から入るように努めなさい」(24節)と教えられておりますので、救われる人とは「狭い戸口から入る」人であるということがわかります。「狭い戸口から入る」人とはイエス・キリストを信じて従う人であります。マタイによる福音書の7章13節には、よく知られている「狭い門から入りなさい」という御言葉があります。その箇所でも、やはりキリストを信じてキリストに従うことが狭い門と言われています。反対に、広い戸口から入るというのは、キリストを信じて従わないで、神の国に入ろうとする生き方のことであります。ユダヤ人たちの多くはキリストを信じませんでした。また一時的に信じても、続けて信じてキリストに従うということをしませんでした。それは、ユダヤ人たちの多くは、モーセの律法を守ることによって救われると考えていたからです。
それらの人々についてキリストは24節の後半で「入ろうとしても入れない人が多い」と言っておられます。使徒パウロも「律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされない」(ローマ3: 20)と教えています。なぜなら、モーセの律法を学んで知っているということと、それを実行しているということは別のことだからです。ユダヤ人たちの多くは、モーセの律法を実行しているつもりでしたが、実際には律法の根本精神である「神への愛と隣人への愛」を実行できていませんでした。
(8月2日の説教より)