「それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。」 (ルカ12:7)
キリストは偽善を克服するために三つのことを勧告しておられます。第一に、神によってすべてが明らかになるということ(2-3節)、第二に、人を恐れず神を恐れよということ(4-5節)、第三に、あなたがたは神に覚えられているということ(6-7節)であります。
神は私たちの状態を完全に認識しておられ、その上で私たちにとって最もよいことを行ってくださいます。そして、神の許可がなければ人間は指一本すら私たちに触れることはできないのですから、人間を恐れる必要は全くないのです。ハイデルベルク信仰問答の第1問は、「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか」という問いに対して、次のように教えています。「生きるにも死ぬにも、わたしは体も魂もわたしのものではなく、わたしの信実な救い主イエス・キリストのものであるということです。この御方が、その尊い血によってわたしのすべての罪の代償を完全に支払ってくださり、まったく悪魔の権力のもとにあったわたしを解放してくださいました。そして、わたしを守り、天にいますわたしの御父の御心なしには一本の髪もわたしの頭から落ちることなく、事実すべてのことが必ずわたしの祝福に役立つようにしていてくださいます。」(登家勝也訳)
このように、「神に覚えられている」ということからわかることは、偽善を克服するためには、単に神を恐れるだけではなく、積極的に神に信頼することが求められているということです。そして、それはイエス・キリストの十字架による罪の赦しに徹底的に信頼するということです。自分の行いを誇る気持ちを捨てて、ただイエス・キリストの十字架に信頼するときに、偽善ではなく本当の善を行う道が開けてきます。逆説的な言い方ではありますが、自分が偽善者であるという痛みを味わうことによって、初めて偽善を克服する道が開けてくるのであります。 (12月15日の説教より