すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」                  (使徒2:38)

 

聖霊すなわち神の霊はキリストの霊とも言われます。キリストの名によって洗礼を受けることにより、キリストと一体となり、キリストの霊を受けることができるようになるのです。私たちがキリストの霊を受けると、キリストの十字架の力により私たちの内なる罪が死滅し、キリストの復活の力により私たちの内に新しく生きる力が起こります。使徒パウロはガラテヤの信徒への手紙2章20節で「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」と記していますが、これは私たちの内に宿るキリストの霊の力を生き生きと言い表したものであります。

ペトロの言葉の「賜物として聖霊を受けます」という言い方には注意が必要です。ここでは「賜物」にドーロンというギリシア語が用いられています。聖霊が神とキリストから与えられる賜物すなわちプレゼントであるという意味です。他方、聖書にはコリントの信徒への手紙一12章などのように「聖霊の賜物」(ギリシア語カリスマ)について記した箇所もあります。これは私たちの内に宿ってくださる聖霊によって与えられる様々な能力のことを指しています。たとえば、説教や伝道や奉仕の力などです。ここではそのような個別の「聖霊の賜物」のことではなく、キリストの名によって洗礼を受けることにより与えられるキリストの霊というプレゼントのことを言っているのです。これは信じ難いほどの素晴らしい約束です。私たちが自分の内にキリストの霊を持つことができるというのです。私たちの内にキリストが住んでくださり、歩むべき道を教え、常に慰め励まして生きる力を与えてくださるというのです。これはどんな地位や富よりも勝った宝です。

(11月10日の説教より)