「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」 (ルカ11:28)
ここで、キリストは血縁の結びつきよりも信仰の結びつきの方が大切であるということを教えておられます。信仰の結びつきはキリストとの愛の交わりですから、「神の言葉を聞き、それを守る」とは、「キリストの言葉を聞いて、聖霊に満たされて、キリストを信じ、キリストに従う」ことであります。
聖霊の働きは、ときには爆発のような激しい変化を人の生き方に起こす場合もあります。しかし、それだけでなく、一見燃えているかどうかわからない炭火のような形で静かに人を動かしている場合もあります。ですから、「神の言葉を聞き、それを守る人」というのも、外見だけで判断することはできません。大切なことは、その人の中で信仰の炎、キリストへの愛が聖霊の働きによって燃え続けているかどうかであります。そして、そのことは、その人が神の愛、キリストの愛をどれほど謙遜に受け止めているかによります。きわめて活発なように見えながらキリストへの愛の乏しい人があり、きわめて静かであるように見えながらキリストへの愛が燃えている人がいます。
生涯をインドでの福音宣教と社会事業に献げたエミー・カーマイケルは、自分の献身的な働きが人々の冷淡な反応しか生み出さなかったときに、愛が冷えるのを覚えました。しかし、「愛の主、苦難の主よ。あなたの愛をあふれさせてください。わたしを通して愛が流れますように、神の愛が」と祈ることによって、再び立ち上がることができました。 (11月3日の説教より)