それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。 (一コリント13:13)
信仰と愛と希望はキリスト教の教えの重要な三つのポイントです。キリストの十字架と復活を信じる信仰やキリストが再び来られるという希望は、キリスト教会にとって変わらないでいつまでも残ることです。しかし、キリストとの愛の交わりやキリストによる隣人との愛の交わりは、いつもでも残るだけでなく、終わりの日にキリストが再び来られることによって完全なものになるのです。古代のキリスト教の指導者であったアウグスティヌスは『神の国』という著作の結びの部分で、救いの歴史が完成する終わりの日について次のように記しました。「そこにおいては、わたしたちは休み、そして見るであろう。わたしたちは見、そして愛するであろう。私たちは愛し、そして称賛するであろう。これこそ、終わりなき終わりにおけることである。」(服部英次郎・藤本雄三訳)これを一言で言えば、終わりの日に永遠の愛が完成するということです。
本日の説教の最初に、「『永遠の愛』は存在しますか」という質問に対して、「残念ながら(永遠の愛は)存在しません。諸行無常といいます。全ての事は常では無い、永遠に続くものは存在し無いという事です」と答えたお坊さんの話をしました。わたくしは、このお坊さんの言葉に大切な真理が含まれていると思います。それは、人間の愛は永遠には続かないという真理です。男女でも、同性でも、親子でも、兄弟でも、お互いの関係は変化します。愛し愛されていると思っていても、その人間的な愛はいつか終わるでしょう。会社に対する愛とか国に対する愛とかいうものも、時代の状況によって驚くほど変化します。不祥事が起こることによって、自分が誇っていた会社を恥じるようになるでしょう。戦争に敗れることによって、自分が命がけで守ろうとした国の体制は空しいものであったと気付かされるでしょう。諸行無常とは実によく言ったものです。しかし、この世界に一つだけ変わらないものがあります。それは、「わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしに」なった父なる神様の愛です(一ヨハネ4:10)。キリストの十字架によって示された神の愛です。そして、人と人との愛は、キリストの十字架によって示された神の愛に、本当に基づいている限りにおいて変わりません。
(7月21日の説教より)