愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。 (一コリント13:4)
パウロは「愛は自慢せず、高ぶらない」と記します。これらの教えもコリント教会の信徒たちの状態を意識して書かれたに違いありません。「自慢する」と翻訳されている原典のギリシア語は、「自分自身に対する賞賛を積み上げる」という意味の言葉です。コリント教会の信徒たちは自分たちが知恵や知識があると思い込んで自慢していました。そのような信徒たちに対して、パウロはこの手紙の8章2節で「自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです」と警告しています。
「高ぶらない」も高ぶっているコリント教会の信徒たちに対する警告でしょう。驚くべきことですが、コリント教会の信徒たちは自分たちの方がパウロよりも霊的に豊かなクリスチャンであると考えていました。この手紙の4章8節で、パウロはコリント教会の信徒たちに対して「あなたがたは既に満足し、既に大金持ちになっており、わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっています」という厳しい指摘をしています。これは、コリント教会の信徒たちが文字どおり「大金持ち」になっているということではなく、自分たちのことをパウロよりも霊的に、つまりスピリチュアルな点において豊かなクリスチャンであると高ぶって、指導をするパウロを見下していたことを示しています。これに対してパウロは4章18節と19節で「わたしがもう一度あなたがたのところへ行くようなことはないと見て、高ぶっている者がいるそうです。しかし、主の御心であれば、すぐにでもあなたがたのところに行こう。そして、高ぶっている人たちの、言葉ではなく力を見せてもらおう」と強い態度で向き合っています。高ぶっている人たちを打ち砕くためです。そして、この13章の4節では、愛は「高ぶらない」と言って、コリント教会の信徒たちを静かにさとしているのです。 (7月7日の説教より)