わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。(ガラテヤ5:16)
キリストを信じることは聖霊の働きによるものです(一コリント12:3)。それだけでなく、さらに信仰が深まり、キリストの形に人格が形作られていくことも、聖霊の働きによります。罪によって悪い習慣のついた生活は、ただ聖霊の働きによって新しくされていくのです(ローマ8:13)。そこで、聖書は「霊の導きに従って歩みなさい」と教えているのです。
人間の心の中には、正体不明の欲求不満、捕らえどころのない不安感、不満や不安から一瞬でも解放されたいという衝動があります。それらが、人間を「姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴」(19-21節)へと駆り立てるのです。ところが、これらのことによって不安を解消しても、それは一時的なものに過ぎませんから、逆にますます不安を掻き立てられて、これらの悪事にのめり込んでしまうことになります。その結果、人生を空しく浪費し、自分だけでなく他人をも傷つけるような結果に終わります。
しかし、不安や不満があっても、祈って神への信頼と服従によってそれらを解決しようとする人は、「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」(22節)などの聖霊の実を結びます。これは、砂漠の中でこんこんと清らかな水がわき出る井戸を掘り当てたようなものです。渇きと疲れを癒され、しかも続いてこの井戸から水が飲めますので、平安があります。祈りの中で、罪の赦しが確かにされ、平安が与えられ、対人関係の方向が示され、問題解決の手がかりが与えられます(フィリピ4:6-7)。祈りを通して与えられる知恵と力は、世界中のコンピュータを総動員して得られるものよりもはるかに勝っております。
(6月9日の説教より)