「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。」     (ヨハネ20:17)

復活したキリストは、どうしてマグダラのマリアがすがりつこうとするのをお許しにならなかったのでしょうか。その理由をキリストは「まだ父のもとへ上っていないのだから」と説明しておられます。すなわち、復活したキリストの体はこの地上にとどまり続けるべきものではなく、父なる神様のもと、すなわち天国に上るべきものだから、この地上ですがりついてはならないということであります。
それにしても、マグダラのマリアの気持ちを考えれば、キリストは随分厳しいことをおっしゃったものだとも思われます。この厳しさはどこから来るのでしょうか。それは、キリストの救いの御業の目的から来るのです。すなわち、神の独り子キリストがこの世に来られて十字架と復活の偉大な御業を成し遂げてくださったのは、私たちを神の国の世継ぎとして天国に迎えるためであったということです。私たちにこの世における安楽を保証するためではなく、神の国における永遠の住まいを保証するために、キリストは私たちに代わり十字架上で死んで復活なさったのでした。そして、私たちを天国に迎えるために、キリストは天に昇られたのでありました。
キリストはマグダラのマリアに、他の弟子たちに告げるべき言葉を託しておられます。それは、「わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る」(17節後半)という、いささか回りくどいとも思えるような言葉です。キリストはご自分と弟子たちを一まとめにして、「わたしたちの父である方、わたしたちの神である方」とはおっしゃらないで、あえて「わたしの父であり、あなたがたの父である方、またわたしの神であり、あなたがたの神である方」とおっしゃいました。これは、まずキリストご自身が神の子でいらっしゃるからこそ、キリストを信じる者たちが恵みによって神の子としていただけるという大切な順序を表しているということでしょう。キリストが天国の世継ぎでいらっしゃるからこそ、私たち信じる者も天国の世継ぎとしていただけるということなのです。
               (4月28日の説教より)