また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。         (ルカ11:25)

 「新しい契約」という言葉は、旧約聖書のエレミヤ書31章31節で出てくる言葉です。「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。」(エレミヤ31:31-32)
 「新しい契約」とは、古い契約ではなく新しい契約だという意味です。古い契約は、イスラエルの人々が奴隷であったエジプトの地から脱出したときに与えられたモーセの律法のことです。古い契約は石の板に刻んだ文字で与えられ、それを守れば祝福を受けることができましたが、守らなければ呪いを受けるものでした。そして、旧約聖書のイスラエルの人々はそれを守らなかったために呪いを受けて滅んでしまったのでした。
 ところが、キリストによって与えられる「新しい契約」では、エレミヤ書31章34節に「わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない」とありますように、神様の教えを守ることのできない人にも罪の赦しが与えられることが約束されています。これは、キリストを信じる人が罪の赦しを受けて義と認められることを指しています。さらに、それだけでなく、エレミヤ書31章33節に「わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す」とありますように、「新しい契約」では、神様の教えが聖霊の働きによって心の中に記されて、聖霊に導かれて自発的に神様の教えに従うようになるというのです。これは、キリストを信じる人が聖霊によって清められること、つまり聖化されることを表しています。このような「新しい契約」を神様から与えられていることのしるしが、キリストの十字架上の苦しみとその恵みを表す聖餐式であるというのです。ですから、キリストを信じて聖餐式でパンを食べ杯を飲むことは、罪人であっても罪の赦しを受けて清められていくということの確かなしるしなのです。
               (3月31日の説教より)