女はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶらないなら、その頭を侮辱することになります。それは、髪の毛をそり落としたのと同じだからです。
(一コリント11:5)
新約聖書の時代、女性は礼拝のときには頭にかぶり物を着用するのが習慣でした。ところが、コリント教会で自分たちは霊的に高いレベルにあると思い込んでいた女性たちは、自分たちの主張を表現するために礼拝のときの服装に関する当時の習慣を破ろうとしたのです。それに対して、パウロはなんとか根拠を考えてこれらの女性たちの行動を諫めようとしています。それが本日の聖書の箇所です。
本日の箇所のパウロの言葉を聞いて、みなさまは「よくわかった。納得した」と言うことができますでしょうか。わたくしはそのように言うことはできないです。パウロは「女は長い髪をもっていなければならず、礼拝のときには頭にかぶり物をしなければならない」という固定観念をもっていました。その固定観念を説明するために、頭にかぶり物をするという当時の習慣に、あえて象徴的な意味づけをしているのです。すなわち、「女は礼拝のときには頭にかぶり物をしなければならない」という結論が先にあって、その結論をなんとか根拠づけようとしているのです。それは、コリント教会には自分たちがこの世から超越して霊的に満たされているので、夫婦であっても夫と交わらずに別れようとする女性たちがおり、頭にかぶり物を着用しないのはその主張の表現であったからなのでしょう。そうすると、本日の箇所のパウロの教えはコリント教会の特殊な事情から来るものであり、文字どおりに現代のクリスチャンに当てはめる必要はないし、当てはめるべきでもない、ということがわかります。
聖書の中には、ある時代の特定の教会に対する教えであって、文字どおり現代のクリスチャンに適用することのできない箇所があります。それを見極めるためには、その教えがなされた背景を丁寧に読み解く必要があり、専門的な文献を読む力が求められます。 (3月10日の説教より)