わたしの愛する人たち、こういうわけですから、偶像礼拝を避けなさい。 (一コリント10:14)

 パウロは「偶像礼拝を避けなさい」と言います。「避けなさい」と翻訳されている原典のギリシア語は「逃げなさい」とも翻訳することのできる言葉です。最近の英語の聖書はこの箇所を“flee from idolatry”(ESV、NIV 2011)と翻訳しており、これは文字どおりに日本語にすれば「偶像礼拝から逃げなさい」ということです。
 ここで、私たちはいくつかのことに気づかされます。第一に、直前の13節に「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」と記されていたことです。この13節を解き明かしたときに、「試練」と翻訳されているペイラスモスという言葉は「誘惑」と翻訳することもでき、むしろそちらの方がパウロの言いたいことをよく伝えるとお話ししました。つまり、神様は「誘惑に耐えられるよう、逃れる道をも備えていて」くださるということです。つまり、パウロは13節で神様が偶像礼拝という誘惑から逃れる道をも備えていてくださると言い、14節でその神様が備えてくださった逃れる道によって偶像礼拝から「逃げなさい」と命じているということがわかるのです。
 第二に、パウロは「偶像礼拝を避けなさい」と命じているのであって「偶像礼拝をなくすように戦いなさい」と命じているのではないということです。偶像礼拝をしてはならないという教えは、旧約聖書と新約聖書に一貫した強い教えです。しかし、旧約聖書と新約聖書では、偶像礼拝をしないためにどのような対応をするかという点で違いが見られます。旧約聖書においては、偶像は破壊しなさいと教えられています(申命記12章2〜3節)。ところが、新約聖書においては偶像を破壊しなさいという教えはなく、偶像を避けなさいと教えられています。本日の箇所もそうですし、ヨハネもまたヨハネの手紙一の結びの言葉で「偶像を避けなさい」(一ヨハネ5:21)と命じています。
(2月3日の説教より)