現に多くの神々、多くの主がいると思われているように、たとえ天や地に神々と呼ばれるものがいても
                (一コリント8:5)

 「多くの神々」「多くの主」というのはギリシア神話の神々のことでしょう。ギリシアでは最高神のゼウス、海の神ポセイドン、結婚と出産の女神ヘラ、大地と豊穣の女神デメテル、炉の女神ヘスティア、知恵の女神アテナ、恋愛と美の女神アフロディテ、詩と音楽の神アポロン、狩猟の女神アルテミス、戦いの神アレス、火の神ヘファイストス、牧畜の神ヘルメスという十二の神々がオリュンポス十二神として崇められていました。そのほかにも、さまざまな多くの神々がギリシア神話には登場します。神々の名前には、一般の名詞を用いているものが多くありました。たとえば、「記憶」という意味のムネーモシュネーは「記憶の女神」であり、「勝利」という意味のニケーは「勝利の女神」でした。「夜」を意味するニュクスがそのまま「夜の女神」の名前になり、「時間」を意味するクロノスがそのまま「時間の神」の名前になりました。これらの例からもわかりますように、ギリシア神話の神々は人間が考え出したものでした。それらは「神々と呼ばれるもの」であって、ほんとうの神ではないのです。
そこで、パウロは「わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです」(6節)と記しています。「わたしたちにとっては」というのは、「わたしたちクリスチャンにとっては」ということです。イエス・キリストを信じたクリスチャンは、キリストの父でいらっしゃる唯一の父なる神様がおられるということを知りました。そして、この神様は世界を創造した方ですから、「万物はこの神から出」たことを知っているのです。その次の「わたしたちはこの神へ帰って行く」とはどういうことでしょうか。原典のギリシア語には「帰って行く」という動詞はありません。原典のギリシア語を文字どおり訳せば、「わたしたちは彼に向かって」となります。そうすると、むしろ英語の聖書が“for whom we exist,”(NRSV、ESV)と翻訳しているように「私たちはこの神のために存在している」と解釈した方が、意味がよくわかります。つまり、クリスチャンにとっては、神とは唯一の創造主である神様であり、自分というものが存在する目的はこの神様のためであるというのです。
               (9月30日の説教より)