妻は夫が生きている間は夫に結ばれていますが、夫が死ねば、望む人と再婚してもかまいません。ただし、相手は主に結ばれている者に限ります。しかし、わたしの考えによれば、そのままでいる方がずっと幸福です。わたしも神の霊を受けていると思います。
             (一コリント7:39-40)

8節と9節のところで、パウロは「未婚者とやもめに言いますが、皆わたしのように独りでいるのがよいでしょう。しかし、自分を抑制できなければ結婚しなさい。情欲に身を焦がすよりは、結婚した方がましだからです」と述べていました。パウロは、夫を失ったやもめのクリスチャン女性の再婚を認めていたのです。そして、この39節で、パウロはそれに一つの条件をつけています。すなわち、「相手は主に結ばれている者に限ります」という条件です。なぜこのような条件をつけているのでしょうか。それは、夫を失ったクリスチャンの女性は、独身で主イエス・キリストに仕える幸いを得ているからです。結婚生活で夫に対するさまざまな心遣いをしなければならないことを経験した後、独身となってキリストに仕えることに専念できる幸いを得たのですから、もし再婚するとすれば、「主に結ばれている者」に限るというのです。すなわち、主イエス・キリストに仕えることを理解してくれる相手に限るということです。そうでなければ、再婚によって主イエス・キリストに仕えることが妨げられてしまうからでしょう。
しかし、パウロが最も望ましいと考えるのは、独身でキリストに仕える幸いを保ち続けることでした。すなわち、40節に「しかし、わたしの考えによれば、そのままでいる方がずっと幸福です。わたしも神の霊を受けていると思います」とあるとおりです。夫を失った女性に「そのままでいる方がずっと幸福です」というのは、常識では理解しがたいことかもしれません。しかし、パウロは自分自身が独身でキリストに仕えていたからこそ、クリスチャンの女性が独身でキリストに仕えるときにどれだけ大きな幸いを受けるかということもよく理解していたのでしょう。ですから、パウロは最後に「わたしも神の霊を受けていると思います」と述べて、自分の判断が神の聖霊の導きであることを記すのです。        (9月16日の説教より)