しかし、あなたが、結婚しても、罪を犯すわけではなく、未婚の女が結婚しても、罪を犯したわけではありません。ただ、結婚する人たちはその身に苦労を負うことになるでしょう。わたしは、あなたがたにそのような苦労をさせたくないのです。 (一コリント7:28)
コリント教会の中には、夫婦が共に寝ることすら否定するような極端な禁欲主義の信徒たちがいました。そのような信徒たちは、教会の中の未婚の人たちに結婚は罪です、結婚するのはやめなさいと圧力をかけていたに違いありません。コリント教会の未婚の人たちは、結婚は罪だろうかと迷い悩んでいたことでしょう。しかし、パウロははっきりと「あなたが、結婚しても、罪を犯すわけではなく、未婚の女が結婚しても、罪を犯したわけではありません」と答えています。結婚は神様が定められた秩序であって、決して罪ではありません。
ただし、パウロは結婚によってこそ人は幸福になるのだというような思い込みに対して、冷静な警告を発しています。すなわち、「ただ、結婚する人たちはその身に苦労を負うことになるでしょう。わたしは、あなたがたにそのような苦労をさせたくないのです」と教えています。「その身に苦労を負う」とはどういうことでしょうか。おそらく、結婚生活にともなういろいろな心遣いの苦労のことでしょう。少し後の33節から34節でパウロは、結婚している男がどうすれば妻に喜ばれるかと心を遣い、結婚している女がどうすれば夫に喜ばれるかと心を遣うことを指摘しています。夫婦はお互いの関係のことで心を遣いますし、子どもがいれば子どものことで心を遣います。それらの心遣いのために、主キリストに対する心遣いが後回しになってしまって、終わりの日に備えるクリスチャンとしての本来の生き方をしにくくなるというのです。ですから、パウロは、クリスチャンには夫婦関係で苦労することなく、独身として終わりの日に備えて生きるという幸いな道があることを示しているのです。 (8月26日の説教より)