コリントの信徒への手紙一4:16-17

そこで、あなたがたに勧めます。わたしに倣う者になりなさい。
テモテをそちらに遣わしたのは、このことのためです。彼は、わたしの愛する子で、主において忠実な者であり、至るところのすべての教会でわたしが教えているとおりに、キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方を、あなたがたに思い起こさせることでしょう。

 パウロは同労者のテモテについて「テモテが確かな人物であることはあなたがたが認めるところであり、息子が父に仕えるように、彼はわたしと共に福音に仕えました。」(フィリピ2:22)と記しています。「確かな人物であること」とは、ギリシア語でドキメーという言葉です。口語訳聖書は「テモテの練達ぶり」と訳しています。この言葉の動詞形ドキマゾーは、「試験をする」「試験によって価値を証明する」という意味があります。ですから、クリスチャンとして様々な試練を受けて成熟した人格を身につけ、それが周囲の人々からも認められていることを指しています。
 テモテという人の生涯は苦難の連続であったに違いありません。クリスチャンの子弟として若いときから周囲の迫害を受け、故郷を離れてパウロと共に伝道するようになってからは、旅をして行く先々で伝道しては迫害を受けたに違いありません。あるときはユダヤ人から、また別のときは異邦人から命を狙われ、安住の地のないような生活であったことでしょう。しかし、そのような苦難の中でテモテはただ疲れきって消耗してしまったのではありませんでした。彼はキリストの恵みによって、「練達」した「確かな人物」になったのです。
 そのような歩みをしていたテモテであったからこそ、パウロは「キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方を、あなたがたに思い起こさせる」(一コリント4:17)という重大な使命をゆだねて派遣したのでした。キリストに結ばれてキリストに従っていたテモテは、キリストに結ばれてキリストに従っているパウロの生き方を、コリント教会の信徒たちに思い起こさせるにふさわしい人物でした。そして、もしコリント教会の信徒たちが、キリストに結ばれてキリストに従っているパウロの生き方を思い起こしたならば、彼らもまた高ぶることをやめてクリスチャン本来のあり方へと立ち帰ることができたでしょう。パウロは高ぶっているコリント教会の信徒たちが、キリストに結ばれて生きる謙遜な生き方を取り戻すようにテモテを派遣したのであります。           (2月18日の説教より)