聖書のことば  テサロニケの信徒への手紙二2:6-8

今、彼を抑えているものがあることは、あなたがたも知っているとおりです。それは、定められた時に彼が現れるためなのです。不法の秘密の力は既に働いています。ただそれは、今のところ抑えている者が、取り除かれるまでのことです。
   (二テサロニケ2:6-7)

 世の終わりの直前に現れる「不法の者」の出現を「抑えているもの(者)」とは何かという問題については、様々な説があります。多くの説の中で最も妥当と思われるのは、基本的には神様が「不法の者」の出現を抑えているのですが、それは福音宣教のためであるという考え方です。すなわち、「不法の者」の出現は神様の力によって抑えられており、それはキリストの福音がすべての民に宣べ伝えられるまでであって、終わりの日の直前に「抑えている者」が取り除かれると、「不法の者」が出現して一時的に全世界を支配し、そして終わりの日が来て最後の審判が行われるということです。

 7節の「抑えている者」が、6節とは異なり男性形の現在分詞によって人格を現す「者」となっているのは、おそらく神様の力を行使する天使のことを考えているのでありましょう。また、不法の力はキリストの福音がすべての民に宣べ伝えられるまでは抑えられているという考え方は、福音書の中のキリストの終わりの日についての考えとよく一致しています。たとえば、「そして、御国のこの福音はあらゆる民への証として、全世界に宣べ伝えられる。それから終わりが来る」(マタイ24:14)とある通りです(なおマルコ13:10も参照)。

 まず、すべての民への福音宣教がなされ、次に自分こそは神であると宣言する「不法の者」が出現して一時的に支配し、そして最後に、「不法の者」の支配を打ち破るキリストの再臨と最後の審判がなされるという救いの歴史の見通しは、旧約聖書の預言とキリストの教えとパウロの手紙に一貫して見られる考えであります。聖書は私たちに慰めと励ましを与えてくれる書物でありますが、それは単なる空しい気休めや掛け声だけの励ましではありません。聖書の与える慰めと励ましは、世界の歴史に対する確かな見通しと希望とに基づいているのです。 (3月12日の説教より)