どうか、わたしたちの神が、あなたがたを招きにふさわしいものとしてくださり、また、その御力で、善を求めるあらゆる願いと信仰の働きを成就させてくださるように。(二テサロニケ1:11)

 「その御力」とは神様の御力のことです。そして、「善を求めるあらゆる願いと信仰の働き」とは、信徒たちが心の中に持っている善を求める願いや、信仰に基づいて愛の業をなそうとする働きのことでありましょう。信徒たちのこのような願いや働きは、神様によって与えられたものですから、神様の力によって成就され全うされるということです。

 「成就させてくださるように」と訳されている言葉は、「満たす」「完成する」という意味のギリシア語の動詞プレーロオーの接続法・能動態であります。ですから、文法的に言えば「完成してくださるように」と訳すのが、より正確な訳し方です。その場合、完成してくださるのは誰かと申しますと、それはもちろん神様なのです。クリスチャンの善を求める願いや信仰の働きを完成してくださるのは、他ならぬ神様なのであります。

 「善を求める願い」や「信仰の働き」を与えてくださったのも神様です。ですから、一人の人に信仰が与えられ、その人がクリスチャンとして成長していくということは、初めから終わりまで、徹頭徹尾、神様の業なのです。さらに言い換えますならば、救いの働きの主語は一貫して神様である、ということです。神様が救ってくださり、神様が完成してくださるのです。フィリピの信徒への手紙の初めの部分でも、パウロは「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」(フィリピ1:6)と記しています。「あなたがたの中で善い業を始められた方」というのが、神様であるということは言うまでもありません。神様は聖霊の働きによって私たちの救いを完成へと導いてくださいます。神様が救いを完成してくださるという確信があれば、さまざまな苦難にあっても、その苦難を乗り越えて進むことができます。(2月19日の説教より)