聖書のことば コリントの信徒への手紙一4:6

 兄弟たち、あなたがたのためを思い、わたし自身とアポロとに当てはめて、このように述べてきました。それは、あなたがたがわたしたちの例から、「書かれているもの以上に出ない」ことを学ぶためであり、だれも、一人を持ち上げてほかの一人をないがしろにし、高ぶることがないようにするためです。

 「わたしたちの例から、『書かれているもの以上に出ない』ことを学ぶため」とは、どういうことでしょうか。この箇所は解釈の非常に難しい所ですが、主な解釈を以下にご紹介します。
 第一に、この箇所は写字生の誤りによって、元々書かれていたのとは違った形でギリシア語の文が伝えられているので意味がないという説があります。しかし、写字生の誤りということには十分な根拠がありませんので、この説を採るべきではないでしょう。
 第二に、「書かれているもの以上に出ない」とは、旧約聖書の教えに従って信仰生活をするべきという意味だとする解釈です。この時代、信仰生活の規範となる聖書とは旧約聖書でありましたから、「書かれているもの」とは旧約聖書のことだと解釈するのです。
 第三に、「書かれているもの以上に出ない」とは、この手紙に書かれていることに従うべきという意味だとする解釈です。パウロはこの箇所に先立つ部分で、教会とは何か、伝道者とは何か、クリスチャンとは何か、とうことを教えてきました。もし「書かれているもの」がそのようなパウロの教えそのものだとすると、パウロは自分が教えるのは、あなたがたが私の教えに従うのを学ぶためだと言っていることになります。これは不自然なことです。パウロは信仰生活について教えをするときに、しばしば「~と書いてある」と旧約聖書を引用して、自分の教えの根拠を示しつつ教えを記しています。ですから、「書かれているもの」とは、パウロが自分で書いたことではなく旧約聖書に書かれていることと解釈する、先程の第二の説の方が正しいと思われます。
 第四の説は、第二の説に立ちつつさらにそれを限定した解釈です。すなわち、「書かれているもの」とはパウロがこの手紙で引用している旧約聖書だという解釈です。パウロは3章19節でヨブ記5章13節を、3章20節で詩編94編11節を引用し、コリント教会の信徒たちにこの世の知恵を誇ることのないようにと教えています。このように解釈すると、「わたしたちの例から、『書かれているもの以上に出ない』ことを学ぶため」とは、この世の知恵の空しさを教える旧約聖書に従うことを学ぶためという意味になり、前後の文脈とよく一致します。おそらくこの説が正しいと思われます。 
(1月14日の説教より)