エフェソの信徒への手紙4:29-30

悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。   (エフェソ4:29)

 

「造り上げる」と翻訳されているオイコドメーというギリシア語の言葉は、このエフェソの信徒への手紙のテーマを理解するための鍵になる言葉です。この手紙の4章11節から13節でパウロは次のように記しています。「そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。」

この箇所の解き明かしでお話いたしましたように、クリスチャンは、キリストからいただいた賜物を、教会のほかのメンバーと共有し分かち合っていくときに、一人一人も成長し、教会という共同体も成長していくことができます。また、「聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ」というのは、信徒の人たちが賜物に応じてさまざまな「務め」をキリストから与えられるということを意味しています。信徒の人たちが賜物に応じてさまざまな「務め」をキリストから与えられることによって、12節の後半にあるように「キリストの体を造り上げて」ゆくことができるのです。「キリストの体を造り上げてゆき」の「造り上げ」も本日の箇所と同じオイコドメーというギリシア語の言葉です。

このように、この4章11節から13節の御言葉と本日の御言葉を合わせて読みますと、教会という共同体を共に「造り上げ」ていくためには、教会のメンバーに対して「聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語る」ことが必要であるということがわかります。また、教会のメンバーに対して「聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語る」ことが忠実になされているならば、教会という共同体を共に「造り上げ」ていくことができるようになるのです。          (10月26日の説教より)