ルカによる福音書12:1-7
「体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。」 (ルカ11:4-5)
まず4節では、人を恐れてはならないということが「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない」と述べられています。つまり、人は体を殺す以上のことは何もできないから恐れる必要はないが、神様は体を殺す以上のことができるから恐れなければならないということです。それはどういうことかと言えば、5節にありますように「だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ」ということです。マタイによる福音書の10章28節によれば、キリストは「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」とおっしゃっておられます。つまり、神様は魂を地獄に投げ込んで滅ぼすことができるということです。この箇所については、マタイが記している「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな」という言葉のほうが、キリストの元の言葉により近いかもしれません。おそらく、ルカは何らかの理由で「魂」という言葉を用いるのを控えているのでしょう。
しかし、ルカによる福音書も人間には死後の状態があるということを別のところではっきりと教えています。その代表的な話は、ルカによる福音書の16章に記されている貧しいラザロと金持ちの話です。あるところに、毎日贅沢に遊び暮らしている金持ちとその門前に住んで金持ちの残飯で飢えをしのいでいるラザロという人がいました。死んだ後、ラザロは天国に連れて行かれましたが、金持ちは地獄に落とされました。金持ちは地獄の火の炎に苦しめられながら、遥かかなたの天国に貧しいラザロと先祖のアブラハムがいる様子を見ました。そして、「父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます」(ルカ16:24)と訴えました。ところが、アブラハムは天国から次のように答えました。「子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。」(ルカ16:25-26)本日の箇所でキリストが「だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ」と述べておられるのは、このような地獄の苦しみに投げ込む権威をもっておられる神様のことです。(8月17日の説教より)