エフェソの信徒への手紙4:14-16

むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。(エフェソ4:14-15)

 

この箇所は、私たちが信仰生活をする上でとても大切なことを教えてくれています。それは「愛に根ざす」ということと「真理を語る」ということです。「愛に根ざす」生き方は、4章2節に「愛をもって互いに忍耐し」とありますように、互いに忍耐する生き方です。また、この手紙の5章2節には、「キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい」と勧められています。つまり、私たちが愛をもって互いに忍耐することができるのは、キリストが罪人である私たちの救いのために、ご自身を神様に対するいけにえとして献げて十字架で死んでくださった愛があったからです。「この罪人である私の救いのためにキリストが十字架で死んでくださった」ということを一致して信じているときに、私たちはキリストの愛を共に受け取ることができ、愛をもって互いに忍耐することができるのです。

「真理を語る」とは、キリストの福音を語るということです。この手紙の1章13節で、パウロは「あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです」と述べています。キリストの福音とは、キリストが私たちの救いのために十字架で死んで復活してくださり、このキリストを信じるならば罪が赦されて永遠の命を受けることができるということです。そして、もう少し広く考えるならば、「真理を語る」とは、使徒信条に告白されているような、父・子・聖霊なる三位一体の神様への信仰を語るということです。キリストの福音や三位一体の神様への信仰を、お互いの間で語り合い、また外部の人々に対しても語っているならば、その信仰共同体は成長していきます。しかし、キリストの福音や三位一体の神様への信仰に反することを語り合っていると、信仰共同体は成長しないでむしろ壊れていきます。ですから、もしキリストの福音や三位一体の神様への信仰についてわからないことがあれば、「神様、わたしはキリストの復活がわかりません。わかるようにしてください」とか「神様、わたくしは聖霊のことがわかりません。わかるようにしてください」というように祈って、日曜日の礼拝の中でその答えが与えられるように待ちましょう。そして、忍耐強く教会の礼拝に出席して聖書の解き明かしを聴き続けましょう。そうすると、神様がわからなかったことをわかるようにしてくださいます。     (6月22日の説教より)