使徒言行録2:14-21
神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。(使徒2:17-18)
旧約聖書の時代、神の霊を受けて預言するということ、すなわち神の霊の働きによって幻や夢を見た人が神の言葉を語るということは、預言者という特別な賜物を与えられた人に限られたことでした。神は預言者に聖霊を送って、神の意思を啓示し、預言者が神の意思を人々に伝達したのでした。
ところが、終わりの日が近づく今という時代、すなわち、イエス・キリストによって神の愛が最終的にこの世界に啓示された新約聖書の時代においては、「すべての人」が神の霊を受けて神の言葉を語ることができるようになる、というのであります。ここで言う「すべての人」とは、すべての国民ということです。また、男も女も、老いも若きもということです。「すべての人」が神の霊を受けて、神の言葉すなわちイエス・キリストによって啓示された神の愛を語ることができるようになるということです。それは聖書の別の言葉を用いて言うならば、ヨハネによる福音書の3章16節にある「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」ということを、「すべての人」が確信を持って語り得る時代が来たということです。神の愛がイスラエルという一つの小さな国の中だけでなく、全世界のあらゆるところで証しされ、宣べ伝えられる時代が来たというのであります。これは何という喜ばしい時代でしょうか。
しかし、この喜ばしい時代も、やがて最後には神の審判を迎えなければならないということが告げられています(19-20節)。(中略)聖書では世の終わり、すなわち最後の審判は、この世のすみずみにまで、キリストの救いの御業が宣べ伝えられた後に起こると教えられています(マタイ24:14)。言い換えれば、聖霊が降り、すべての人々が神の愛とキリストの救いの御業を証言できるようになった今は、最後の審判までの猶予期間であるということです。神は、この猶予期間に神の霊を人々に降し、救い主キリストの御名を証言させ、飢え渇いた魂が、キリストの恵みによって救われるように、配慮し待っていてくださっているのであります。 (6月8日の説教より)