エフェソの信徒への手紙4:7-11
そこで、「高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、人々に賜物を分け与えられた」と言われています。
(エフェソ4:8)
カギカッコの中は、旧約聖書の詩編68編19節を、言葉を変えて引用したものです。詩編68編19節には「主よ、神よ/あなたは高い天に上り、人々をとりことし/人々を貢ぎ物として取り、背く者も取られる」とあります。この詩編68編は、主なる神様がイスラエルの人々のために戦われる戦士、つまり戦人(いくさびと)であることを歌った詩です。この詩の背景には、古代のイスラエルの人々が、奴隷であったエジプトから主なる神様の力によって救い出され、カナンの土地を主なる神様の力によって勝ち取ったという歴史があります。エジプトの軍隊を打ち破ってイスラエルの人々を救った主なる神様は、シナイ山でイスラエルの人々に十戒などの律法を与え、カナンの土地の人々をも打ち破ってイスラエルの人々にカナンの土地を与え、全世界の王様として君臨しておられるということです。「あなたは高い天に上り、人々をとりことし/人々を貢ぎ物として取り、背く者も取られる」とは、主なる神様が全世界の王様として君臨しておられる有様を、歌っています。
パウロは、この「あなた」を主イエス・キリストと解釈し、「人々を貢ぎ物として取り」を「人々に賜物を分け与えられた」に変えて、詩編68編19節を引用しています。「人々を貢ぎ物として取り」と「人々に賜物を分け与えられた」では、意味が正反対です。引用にしてはあまりにも言葉を変えすぎではないでしょうか?実は、この詩編68編の最後の36節には「イスラエルの神は御自分の民に力と権威を賜る」と詠われています。つまり、主なる神様が全世界の王様として君臨されるので、主なる神様は、御自分の民であるイスラエルに「力と権威を賜る」のだ、ということがこの詩のいわば結論なのです。この結論を19節に結びつけることによって、パウロは詩編68編19節を「人々に賜物を分け与えられた」というように言葉を変えて引用したのでした。そして、この引用によって、十字架で死んだキリストが復活して天に昇り、天の王座に君臨して世界を治め、御自分の民である教会に賜物を分け与えておられることが、あらかじめ旧約聖書で預言されていたと述べているのです。(6月1日の説教より)