エフェソの信徒への手紙3:7-9

この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。      (エフェソ3:9)

 

パウロは自分のことを「聖なる者たちすべての中で最もつまらない者」であると述べています。これは、社交辞令のようなうわべだけの謙遜ではありません。クリスチャンを迫害していた自分の過去に基づいた悔い改めの言葉です。コリントの信徒への手紙一の15章9節でも、パウロは「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です」と述べています。興味深いことに、コリントの信徒への手紙一の15章9節の「いちばん小さな者」と本日の箇所の「最もつまらない者」は、原典のギリシア語の新約聖書ではエラキストスという同じギリシア語の言葉を用いて書かれています。また、テモテへの手紙一1章15節で、パウロは「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です」と述べています。これも、クリスチャンを迫害していた自分の罪を告白した悔い改めの言葉です。私たちはパウロこそキリストを宣べ伝えた最も偉大な人物であると考えていますが、パウロ自身は自分のことを「最もつまらない者」「いちばん小さな者」「罪人の中で最たる者」と考えていたのでした。

このようにパウロ自身は自分を偉大な者とは考えていませんでしたが、パウロの働きには、ほかの人々以上の偉大なことがありました。それは、「異邦人に福音を告げ知らせて」(3:9)いたということです。使徒言行録によれば、使徒ペトロもローマの軍隊の百人隊長であるコルネリウスにキリストの福音を宣べ伝えました。また、第一回目の伝道旅行では、バルナバもパウロと共にキプロス島や小アジア地方の異邦人にキリストの福音を宣べ伝えました。しかし、パウロほど人生のすべてをかけて異邦人にキリストの福音を宣べ伝えた人はいなかったでしょう。ユダヤ人のように天地万物の造り主である一人の神様を信じているのではなく、ギリシア神話やローマ神話の多神教の神々を信じている人々に、造り主である父なる神様の独り子イエス・キリストを宣べ伝えるというのは、どれほど困難なことであったことでしょう!しかし、パウロは神様の恵みによってこの困難な働きを、生涯を通して成し遂げたのでした。先ほど引用したコリントの信徒への手紙一の15章9節の次の10節で、パウロは「わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです」と告白しています。   (4月6日の説教より)