エフェソの信徒への手紙2:1-3
さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。 (エフェソ2:1)
「あなたがた」とはエフェソ教会の信徒たちのことです。それは主にユダヤ人以外の人々でクリスチャンとなったいわゆる異邦人クリスチャンであったのでしょう。エフェソではギリシア神話の女神アルテミスへの崇拝が特に盛んでした。アルテミスは天と地と死者の世界を支配する偉大な力をもつと信じられていました。このようなアルテミスへの崇拝は、エフェソの人々の世界観や生活に大きな影響を与えていました。エフェソの人々はアルテミスを崇拝することによって、この世や死後の災いから守られると信じていました。そのため、エフェソの人々は魔術的な儀式や呪文や祈りによって、アルテミスの霊的な守りを得ようとしていました。しかし、それは人間の造り出した神々の偶像を礼拝するという「過ちと罪」であったのです。聖書の研究者によれば、「罪」と翻訳されているハマルティアというギリシア語は、神様に反逆する一般的な行動や態度を指し、「過ち」と翻訳されているパラプトーマというギリシア語は、神様の明らかな命令や教えを破る特定の行動を指すということです。
パウロはローマの信徒への手紙1章28節から31節で、まことの神を礼拝しないで偶像を礼拝する人々がどのような状態になるかということを、次のように厳しく記しています。「彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、無知、不誠実、無情、無慈悲です。」
私たちがキリストを信じる前の自分の状態を思い出してみましょう。これらのことのうちの少なくとも一つは当てはまるのではないでしょうか。つまり、まことの神様を知らなかったために、神様に背を向けて自分の思い込みや衝動によって動かされて生きていたのではないでしょうか。それは、命の源である神様との交わりを失い、滅びゆく人間の姿でした。ですから、パウロは本日の箇所の1節で「あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです」と記しているのです。 (2月2日の説教より)