エフェソの信徒への手紙1:20-23
神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。(エフェソ1:23)
パウロは父なる神様がキリストを「すべての支配、権威、勢力、主権の上に」置かれた(21節)ということを「すべてのものをキリストの足もとに従わせ」と言い換えています。そして、それをさらに「キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました」と言い換えています。これは、とても大切な意味をもっている御言葉です。「キリストを頭として教会にお与えになりました」とだけ書かれているのであれば、多くの人は当たり前のことだと思うでしょう。キリスト教会を支配し治めておられるのは天におられるキリストですから、父なる神様がキリストを信じる人々の共同体である教会の「頭」となさったというのは、当然のことでしょう。ところが、パウロは「キリストを頭として教会にお与えになりました」ではなく「キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました」と記しています。つまり、父なる神様はまず「キリストをすべてのものの上にある頭」とされました。そして、「すべてのものの上にある頭」であるキリストを教会にお与えくださったのです。ですから、確かにキリストは教会の「頭」であられますが、それよりも先にキリストは「すべてのものの上にある頭」とされているのです。言い換えれば、天におられるキリストは、キリスト教会だけではなく全世界・全宇宙を支配しておられるということです。
みなさまは、信仰とは心の問題であると考えておられるかもしれません。それは間違いではありません。確かに信仰は心の問題です。しかし、信仰は心だけの問題ではありません。信仰はこの世界と宇宙をどのように理解するかという問題でもあるのです。そして、キリストを信じるということは、キリストが信じる人の心や信じる人々の共同体である教会だけでなく、全世界・全宇宙をも支配しておられることを信じるということなのです。そのように申し上げると、「そんなことは信じられない。この世界をキリストが支配しておられるのであるならば、世界はどうして悲惨な出来事に満ちているのか?」と反論される方もおられるでしょう。それに対しては「世界が悲惨な出来事に満ちているのは、私たち人類の罪のためです。そして、キリストはこの悲惨な世界の中に聖霊によって臨在して働き、救いのわざを進めておられます」とお答えしたいと思います。キリストは天というこの世界を超越した場所におられるにもかかわらず、聖霊によってこの世界に臨在して、この世界にもいてくださるのです。そして、キリスト教会こそが、キリストが臨在し働かれる第一の場所なのです。(2月2日の説教より)