エフェソの信徒への手紙1:11-14

この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。       (エフェソ1:14)

 

「御国を受け継ぐ」と翻訳されている言葉は、ギリシア語の原典では、クレーロノミアと言い、文字どおりに翻訳すれば「相続財産」となります。つまり、聖霊は私たちが天国の財産を相続することの保証であるということです。また、「保証」と翻訳されているアッラボーンというギリシア語は、「売買代金の一部を前もって支払うこと」という意味の言葉です。日本語で言えばいわゆる手付金のことです。この箇所は神様の養子が天国の財産を相続するという話ですから、正確に言えば、売ったり買ったりする場合に用いられる手付金という言葉は当てはまりません。しかし、あたかも手付金を払うように、神様が養子とした人たちに前もって天国の財産の一部を与えてくださっているという意味だと理解することはできるでしょう。

キリストを信じる人が天国の財産を相続するのは、地上の人生を終えて天国に召された後です。そして、永遠の命を完全に受けるのは、終わりの日の最後の審判において、キリストと同じような永遠の命の体に復活するときです。しかし、天国の財産の一部分は、私たちがこの地上で生きているときにすでに与えられています。そして、それが私たちに「天の父よ」「天のお父さま」と祈ることをさせるキリストの霊である聖霊なのです。聖霊はこの地上で生きている私たちを、神様の喜ばれることをすることができるように、導き清めてくださいます。言い換えれば、永遠の命の源である天の神様との交わりを、この地上で生きている私たちに可能にしてくださるのです。ですから、聖霊が私たちの中に宿ってくださっているときに、私たちは天国の幸いの一部分を前もって経験することができるということです。

「わたしたちは贖われて神のものとなり」とは、キリストの十字架によって罪を贖われることだけではなく、終わりの日に完全な救いを受けることをも含んでいるのでしょう。終わりの日の最後の審判において、キリストを信じてキリストに従った人は永遠の命の体をもって復活します。パウロは、このエフェソの信徒への手紙の4章30節において、終わりの日のことを「贖いの日」と呼んでいます。また、ローマの信徒への手紙の8章23節では、永遠の命の体をもって復活することを「体の贖われること」と言っています。神様の養子とされた私たちは、終わりの日に、義とされて永遠の命を受けるという天国の財産を、完全に相続することができるのです。(11月24日の説教より)