コリントの信徒への手紙二11:12-15
だから、サタンに仕える者たちが、義に仕える者を装うことなど、大したことではありません。彼らは、自分たちの業に応じた最期を遂げるでしょう。 (二コリント11:15)
「サタンに仕える者たち」とは、コリント教会に来てお金目当てに伝道をしている「偽使徒」たちのことです。「義に仕える者」とは、神様の義を宣べ伝える本当の使徒たちのことです。悪魔でさえ神様から遣わされた天使であるかのように装うのですから、お金目当てに伝道をする者たちが神様の義を宣べ伝える使徒たちのように装ったとしても、何の不思議もないということです。ここでパウロは、コリント教会に来てお金目当てで伝道をしている偽の伝道者たちのことを「サタンに仕える者たち」という最も厳しい言葉で言い換えています。しかし、その後は彼らを非難する言葉を書いてはいません。「彼らは、自分たちの業に応じた最期を遂げるでしょう」と記して、神様の裁きにすべてをおまかせしています。
本日の聖書の箇所は、教会の中に「サタンに仕える者たち」がいるということを書いています。ですから、これを読んでびっくりされた方もおられるでしょう。しかし、パウロはほかの手紙の中でも同じようなことを書いています。たとえば、ローマの信徒への手紙の16章の17節と18節で、ローマの教会の中に「キリストに仕えないで、自分の腹に仕えている」人たちがいて、「うまい言葉やへつらいの言葉によって純朴な人々の心を欺いている」と述べています。これが教会の実態である、ということです。しかし、パウロは自分がそれらの人たちを裁くとは言いません。この少し後の16章20節でパウロは「平和の源である神は間もなく、サタンをあなたがたの足の下で打ち砕かれるでしょう」と述べています。つまり、「キリストに仕えないで、自分の腹に仕えている」人たちの親分である悪魔を、平和の源である神様ご自身が打ち砕いてくださるということです。神様がそうしてくだされば、「自分の腹に仕えている」人たちの活動も終わるということです。つまり、神様の裁きにおまかせすれば大丈夫、ということです。
(9月25日の説教より)