ルカによる福音書8:22-25

イエスが起き上がって、風と荒波とをお叱りになると、静まって凪になった。               (ルカ8:24)

ガリラヤ湖は周囲を山に囲まれているため、気圧の変化に伴ってその山から強い風が吹きおろしてきます。たちまち、湖に大波が起こり、弟子たちとキリストの乗った小舟は波をかぶって沈みそうになりました。弟子たちには、舟が沈むのは時間の問題であるように思われました。そこで、弟子たちは眠っていたキリスト起こして「先生、先生、おぼれそうです」と言いました。 ただ一回「先生」と言うのではなく、「先生、先生」と繰り返して言っているところに、弟子たちの差し迫った思いが感じられます。また、「おぼれそうです」というのは、原典の文字どおりの翻訳ではなく、意訳であります。ギリシャ語の原典にはアポリュメサという言葉が用いられており、これを文字どおりに翻訳しますと「私たちは滅びる」となります。ですから、「おぼれそうです」というよりは「死にそうです」と翻訳した方がより原典の意味をよく伝えることになるでしょう。2018年に日本聖書協会から発行された新しい翻訳の聖書では、「このままでは死んでしまいます」と翻訳されています。
キリストは弟子たちの悲痛な叫び声によって目を覚まし、風と荒波とをお叱りになりました。「風と荒波とをお叱りになる」というのは奇妙な言い方だと思う方もいらっしゃるでしょう。しかし、ギリシャ語の原典でもそのように記されているのであります。マルコによる福音書4章39節によれば、キリストは湖に向かって「黙れ。静まれ」と言われたそうです。すなわち、キリストはご自身と弟子たちの行く手をさえぎる風と大波を、ご自身に逆らうものとみなして叱り、「静まれ」と権威を持って強く命令なさったのであります。これは船乗りたちが航海の途中で嵐にあったので「嵐を沈めてください」と神様にお祈りをしているのとは違います。キリストは祈願をしておられるのではなくて、命令をしておられるのです。すなわち、ご自身が大自然を従わせる力のある方として、 大自然に向かって命令をしておられるのであります。天と地の支配者である父なる神様の代理として、権威を持って命令しておられるのです。弟子たちと共に小舟に乗って大自然の力に翻弄されているかのように見えるイエス・キリストが、実は大自然の上に君臨しておられる支配者なのであります。このキリストの言葉によって、驚くべきことに風と荒波は静まって凪(なぎ)になりました。自然に対して超自然的な神様の力が働いたのです。
(8月21日の説教より)