コリントの信徒への手紙二11:1-3

なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです。

                (二コリント11:2)

パウロはコリントの人々にキリストを宣べ伝えて、キリストを信じるように導いたことを、婚約のたとえで表しています。「わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた」とはいったいどのような意味なのでしょうか?

新約聖書の時代は、親が子どもの結婚の相手を「いいなずけ」としてあらかじめ選んで婚約させることが行われていました。それが正しいことかどうかは議論の余地があると思いますが、一般的な習慣としてそのようなことが行われていたのです。そこで、パウロは自分の娘の結婚相手を選んで婚約させた父親の立場になって書いています。父親の立場で「わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた」と言っているのです。そして、その後に「つまりキリストに献げたからです」とありますように、「一人の夫」とは、キリストのことです。旧約聖書では、主なる神様とイスラエルの人々の関係が夫と妻の関係であると教えられています。そして、新約聖書では、キリストと教会の関係が花婿と花嫁の関係であると教えられています。つまり、キリストを信じる人々はキリストの花嫁にたとえられるのです。ですから、パウロがコリントの人々にキリストを宣べ伝えて、キリストを信じるように導いたことは、コリント教会の信徒たちをキリストの婚約者としたことにたとえられているのです。

聖書の言葉について深く考える方は、なぜ「結婚させた」ではなく「婚約させた」となっているのだろうか?と疑問をもたれるかもしれません。それには理由があります。花婿であるキリストと花嫁である教会が結婚して結ばれるのは終わりの日である、という考え方があるからです。ヨハネの黙示録21章1-4節は、終わりの日にキリストを信じる人々の救いが完成することを教えています。すなわち、終わりの日にキリストが再び天から来られて、信じる人々の目の涙をことごとくぬぐい取ってくださり、もはや死も悲しみも嘆きも労苦もなくなるということです。そして、天国にいるキリストを信じる人々も、「夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて」天から下り、花婿であるキリストと結ばれるということです。これは、キリストと同じような永遠の命の体に復活させるということを表しています。            (7月10日の説教より)