コリントの信徒への手紙二10:12-14
わたしたちは限度を超えては誇らず、神が割り当ててくださった範囲内で誇る、つまり、あなたがたのところまで行ったということで誇るのです。 (二コリント10:13)
この「限度」とはどういうことでしょうか?また、「神が割り当ててくださった範囲内」とはどういうことでしょうか?これらのことを理解するためには、パウロが回心してクリスチャンとなり、キリストを宣べ伝える伝道者となったときに、神様からどのような使命を与えられたかということを考える必要があります。
使徒言行録の9章には、クリスチャンを迫害していたパウロが回心して洗礼を受ける場面が描かれています。パウロに洗礼を授けるダマスコのクリスチャンのアナニアに、天におられるキリストは次のようにおっしゃっています。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。」(使徒9:15)つまり、パウロは「イスラエルの子ら」と言われているユダヤ人だけではなく、「異邦人」と言われているユダヤ人以外の人々、つまりギリシア人やローマ人などにもキリストを宣べ伝えるという使命を与えられているということです。
そのことは、パウロ自身もよく自覚していました。使徒言行録の22章17節から21節には、回心の後エルサレムに戻って来て神殿で祈っていたときに、パウロがキリストからどのような御言葉が与えられたかということが記されています。すなわち、キリストはパウロにエルサレムの都やユダヤの国で伝道することではなく、遠くにいる異邦人に伝道することを使命として与えておられるということがわかります。
この異邦人伝道というパウロの使命は、エルサレムの教会でも公に認められたものでした。後にエルサレム教会の指導者たちと会ったパウロは、そのときの会見の様子を次のように記しています。「彼らはわたしに与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。それで、わたしたちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです。」(ガラテヤ2:9)エルサレム教会の指導者は「ヤコブとケファとヨハネ」、すなわち、マリアとヨセフの子である主の兄弟ヤコブ、ケファとも言われたペトロ、ゼベダイの子ヨハネの三人でした。この三人が、パウロとバルナバに「右手を差し出し」パウロとバルナバは異邦人へ伝道し、三人はユダヤ人に伝道するということで合意が成立したのです。(6月26日の説教より)