コリントの信徒への手紙二7:13b-16
わたしは、すべての点であなたがたを信頼できることを喜んでいます。
(二コリント7:16)
13節に「テトスの喜ぶさまを見て、わたしたちはいっそう喜びました」ありましたように、コリント教会の信徒たちの悔い改めのことで、パウロはテトスの喜びに共鳴して、自分自身も喜んでいるのです。それにしても、依然としてさまざまな問題のあるコリント教会の信徒たちに対して、「すべての点であなたがたを信頼できる」というのは言い過ぎではないでしょうか。聖書の研究者の中には、この言葉はパウロが楽観的に過ぎたことを表しているという厳しい評価をする人もいます。確かにそうかもしれません。
しかし、別の見方をすることもできるのではないでしょうか。それは、「すべての点であなたがたを信頼できる」というのは、「すべての点であなたがたの中に働いておられる神様を信頼できる」という意味だと解釈することです。パウロは、コリントの信徒への手紙一の1章31節で「誇る者は主を誇れ」と述べています。「誇る者は主を誇れ」と言ったパウロが、「わたしはあなたがたのことをテトスに少し誇りました」(14節)とあるように、コリント教会の信徒たちのことをテトスに誇ったというのは、おかしなことのようにも聞こえます。しかし、そのこともよく考えてみると、パウロは主イエス・キリストの福音が信徒たちの心の中で働いているからこそ、コリント教会の信徒たちのことを誇ることができたのでしょう。つまり、キリストの福音によって悔い改めという賜物を与えている信徒たちだからこそ、誇ることができたのです。少し前の4節の「あなたがたについて大いに誇っています」という箇所についてお話をしたときにも、コリント教会は悔い改めという賜物を与えられているということが、パウロにとって誇りであり喜びであったと申し上げました。キリストの福音があなたがたの中で働いているからこそ、つまり、神様があなたがたの中で働いておられるからこそ、わたしはあなたがたを誇りとし、あなたがたに信頼し、あなたがたを喜びとしているとパウロは言いたいのではないでしょうか。
(2月13日の説教より)