人格向上の基盤とは(2021年12月26日) 2021年12月22日 preached by 三好 明 and published by 志木北伝道所 テサロニケの信徒への手紙一5:9-11 ですから、あなたがたは、現にそうしているように、励まし合い、お互いの向上に心がけなさい。(一テサロニケ5:11) https://shikikita-church.jp/wp-content/uploads/2021/12/20211226srmn.mp3 「お互いの向上に心がけなさい」と翻訳されている箇所は、文字どおりに翻訳しますと「お互いを建て上げ合いなさい」となります。すなわち、ここでは家を建て上げるという意味のギリシア語の動詞オイコドメオーという言葉が用いられているのです。この動詞は、教会を建て上げるという場合にも用いられる言葉です。たとえば、コリントの信徒への手紙一14章4節でパウロは、預言という理解することのできる言葉によって人々に神の御心を語る者が「教会を造り上げます」と記しています。この「造り上げます」と翻訳されている言葉が、本日の箇所の「向上に心がける」と翻訳されているのと同じ言葉なのです。日本語の聖書だけを読むとまったく別の言葉ですが、ギリシア語の原典では同じオイコドメオーという言葉です。そして、この言葉は、本日の箇所のようにクリスチャンの人格を建て上げるという場合にも用いられます。たとえば、コリントの信徒の手紙一8章の1節でパウロが「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる」と言うときも、同じオイコドメオーという言葉を使っています。 こうして考えてみますと、聖書の教えでは、教会という共同体を形成することと、クリスチャンの人格を形成することは、神様の同じ一つの業の両面であることがわかります。教会という共同体を形成するために信徒一人一人は自分の生活を神様に献げます。そして、神様に自分の生活を献げることによって、一人一人の人格が自己中心のあり方から神中心のあり方へと変えられていくのです。そのようにして、神中心の人格が形成されていきます。神中心の人格は、自分だけでなく隣人をも愛することもできる人格です。すなわち、神様がキリストにおいてなさる一つの業の結果、キリスト教会が形成されると同時に、クリスチャンの人格が形成されるのであります。神様の業に自らをゆだねて献げることによって、永遠なるキリストの体である教会が形成され、また永遠の命を宿したクリスチャンの人格が形成されるのです。 移り行くものに振り回されがちな私たちが、このような永遠の命の恵みと結ばれているのは、なんとすばらしいことでしょうか!キリストの体である教会の一部分としてクリスチャンの人格が形成されることこそ、本当の意味のクリスチャンの人格の「向上」ということなのであります。信仰に基づいて教会の形成のために奉仕していくところに、クリスチャンとしての人格の向上が生まれるのです。 (12月26日の説教より)