コリントの信徒への手紙二4:10-12

こうして、わたしたちの内には死が働き、あなたがたの内には命が働いていることになります。 (二コリント4:12)

この箇所の「わたしたち」とは、パウロとその同労者たちです。「あなたがた」とは、コリント教会の信徒たちのことです。そうすると、ここだけ読むと、パウロたちは十字架の死の苦しみに引き渡されており、それとは対照的にコリント教会の信徒たちは復活の命の恩恵にあずかっていると言っているように聞こえます。しかし、パウロたちも信仰によってキリストと結ばれているのですから、実際はコリント教会の信徒たちと同じようにキリストの復活の命の恩恵にあずかっているのです。それではなぜ、パウロはあえて「わたしたちの内には死が働き、あなたがたの内には命が働いている」と書いたのでしょうか。それは、キリストを宣べ伝える人の苦しみを通して、宣べ伝える相手にキリストの復活の命が伝わるということを言うためだったのです。

パウロの伝道者としての苦しみについては、これまでもお話ししてきたとおりです。エフェソの町では迫害によって文字どおり命の危険がありました。そして、パウロにはコリント教会との関係においても苦しみがありました。かつて、コリント教会の信徒たちを訪問して指導したにもかかわらず反抗されたことがありました。そして、その後で涙を流しながら手紙を書いたことがあったのです。その手紙を読んで、コリント教会の信徒たちの多くは悔い改めました。そして、問題を起こしていたみだらな行いをする信徒に罰を与えて、パウロの指導に従いました。パウロの苦しみに満ちた関わりによって、コリント教会は教会としての正常なあり方を回復することができました。そして、キリストの恵みを受けることができる状態になりました。しかし、そうなるまでには、パウロの苦しみに満ちた指導の積み重ねがあったのです。そのように考えてみますと、パウロが「わたしたちの内には死が働き、あなたがたの内には命が働いている」と書いたのももっともなことであるのがわかります。パウロが大きな苦しみを受けながら、キリストを信じてキリストに従うことを教え続けた結果、コリント教会の信徒たちはキリストの恵みを受けることができるようになったのです。

そして、このことは私たちが誰かにキリストの恵みを伝えようとするときにも当てはまることです。

(5月30日の説教より)